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QoLを考える、その1

私はそんなにテレビ好きではないと自分自身では思っているが(ラジオは好きだけど)、最近のテレビドラマには結構はまっていたりする。

今クールでは、まず明石家さんまとキムタクの「空から降る一億の星」 そして「ビッグマネー!〜浮世の沙汰は株しだい〜」(ともにCX系列)をかなり楽しみに見ていたりする。特に「ビッグ〜」は前から気になってる長谷川京子がかわいすぎるのはともかくとして(爆)、バリバリ資本主義社会に生きているはずの日本庶民には何故かなじみの薄い「株」 を主題に扱った意欲的な作品だ。

誰しもモラトリアムを終えて社会に出れば、いわゆる「お金」という価値について真剣に考えなくてはならない。生きていくためにはお金が必要で、お金を手に入れるためには、働かなくてはならない。しかしこのドラマでは、働かずとも大金を手に入れる「世の中」が描かれている。

金を株式市場で「運用」することで、労働もせず一瞬にして億単位の金を作り出す。また一瞬にして億単位の金を失う。もちろんこれはドラマの世界であって、いきなり億単位の利益を手にするにはそれ以前に大資本を手にしているという条件が必要にせよ、しかしこれはまた嘘偽りの無い、 「現実の世界」で起きている事実でもある。

一応大学は出たけれど、少ないサラリーで毎日したくもない仕事をコツコツやって生きていくのが素晴らしい? それとも、悠々自適に生活しながら「株式市場」での10秒が全てを決める世界が素晴らしい? 答えは人によって様々だろうけど、私はこの問題に立ち向かおうとする努力が大事なことではないかと最近考えている。

金を稼ぐための「仕事」。本来この「仕事」という言葉は動詞「する」 の連用形「し」に、「こと(事)」の付いた語だという。<大辞林第二版より>すなわち、「世の中でする事」が「仕事」であるわけで、第一義に「するべきこと」 と辞典は解説している。

この生きていくためにしなくちゃならない面倒なこと、が仕事であるわけで、きっと長い人生、この「こと」がずっと頭を悩ませ、同時に私の人生を翻弄していくのではないかと予感している。

だからお金をもらうためにゃ、どんな嫌なことでも「仕事」をこなすことが、確かに分かりやすい論理で同時に正義だと思うけれど、しかし、こうして平和になった世の中ニッポンで、フリーターやリストラやアントレが何でもない時代、「どんな嫌なことでも」こなす必要がなくなってしまった今において、私はこの分かりやすい論理と正義が、実はとっても分かりにくい論理と正義になっているんじゃないだろうかと、素直に感じている。

官僚にさえなれば好きなように馬が買える事が分かっている時代に、コツコツと嫌な思いをしてまで「仕事」に打ち込むことの虚しさを、私たちはいかにして捉えればいいんだろう。一瞬の株で儲けた長者番付掲載者を、私たちはうらやむだけでいいのだろうか。家族のために必死に働く姿をリストラがあざ笑う世の中に、私たちはただ嘆くだけで本当にいいのだろうか。

生きていくうえでしなければならない「仕事」。まずそれは自らの人生を、つまりはQuality of Lifeを「真剣に考えてみること」ではないかと、私は最近思い始めている。

2002.05.19.