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アイだけじゃ奪えない、七色の未来。

先日、読売新聞のテレビ欄にNHK教育テレビの「真剣10代 しゃべり場」という番組が紹介されていた。

それによるとこの番組は10代の若人10人が、毎回自分たちが持ち寄ったテーマで討論を繰り広げるというものらしく、新聞の批評も好感を訴えていたので、討論好き(笑)の私も興味を持って見させて頂いた。

今回のテーマは「恋愛なんて、うざったいだけ!」というもので、ゲストとして女優の桃井かおり氏が一緒に討論に加わっていた。

このテーマの提案者である女の子は「これまで恋愛をする度に恋人の存在が重くなってしまい、別れてしまう。自分の夢の実現には、恋愛は邪魔でしかないように思う」として、みんなに自分の思いが間違っているのかどうか、投げかけた訳である。

いやいや、いくら自称討論好きと言ってもこの恋愛ってのだけは私の最も苦手とするところであって(笑)、しかしだからこそ本質でもあることは分かっているし、しかも10代の若人、こういう話に花が咲かぬ訳がないのであるから、いろいろな期待を込めて聞いてみた。

確かに「恋愛」という言葉は時に甘美で時に勇ましく、しかし時として邪魔っ気で重荷になることもまた事実で、彼女の主張するよう「心から信じられる」ものではないことも、誰もが承知していると思う。だから例え45分間の中でいろんな議論を巻き起こしたとしてもその明快な結論が得られないのも、分かりきったことである。

しかし、そうは承知の上でも、そういう自分の心を素直にしかも言葉にして明快に伝える彼また彼女らのたくましさに私は驚嘆した。彼らと同じ高校時分の頃、果たして私にはそこまで言えたであろうか。私は丁度その頃、今彼らの何気なく発している「言葉」を探し求めることだけで精一杯だったような気がする。

恋愛は世界のほとんどの人間にとって究極のテーマであり、非常に分かりやすいが故の葛藤、即ち、彼女の言おうとしている恋愛という儀式への疑念を私は良く分かるし、「別に深く考えなくても好きなら好きでトコトン突き進めばそれでいーじゃん」とそれに反発するイマドキの(でも彼らは「言葉」を持っているが故に非常にイマドキではない)彼また彼女の心境も理解できる。

だがここで、恋愛を主張する彼ら(そして桃井氏や私にすら)一番重要だったのは、そういう恋愛感の中にいる(いようとする)自分「そのもの」の主張であって、そしてそれがあるからきっと「言葉」として彼らは今、私にこうして訴えるものを感じさせ、見せてくれたのだと思う。

テーマに答えがないのに、ではそこまでして彼らそして私に訴えかける何かは何なのか、その答えを探そうとしている自分に答えがあるというパラドキシカルさ、そしてそれに熱く挑み、もがき苦しむ人生に、私は人生の素晴らしさを思うのである。…そうじゃないと、世界中のあらゆる人が恋愛に狂い、生きていくのが説明できないでしょ(笑)。

まあ何はともあれ、これだけ真剣に人に伝えられるしっかりした言葉で語り合える若人がいてくれれば、ここまで平和ボケした日本もまだまだ捨てたもんじゃないと思えるし、同時に、こんな風にして真剣に自分に向き合って相手と語り合うその行為こそが、アイを確かめる大きな手段であることを、私は改めて感じたのであった。

2002.04.14.