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大人のオモチャ

今回は大人のオモチャの話。…そう、それは街でも学校でも会社でも車内でも家でもいつでもどこでもみんなが一生懸命いじくりまわしている、アレ。何がそんなに嬉しいのやら楽しいのやら、携帯ならぬケータイという代物は最早、世の大人にとって、なくてはならぬ必需品なのである。

身近な人ならご存知の通り、私のケータイ嫌いは実に有名なのだが(かけられてもほとんど繋がらない=というか出ない…笑)、それでも私は胸を張ってケータイを愛用していると断言する。この世の誰よりケータイを信じている。もちろん、信じているのはその可能性に、だ。

現在私はNTTドコモのSO503iを使用しているが、実は世にPHSなるものが出た時からそれを所持してたくらいケータイには縁がある(あの頃は信 じられない値段で信じられない大きさだったけど)。厳密に言うと携帯電話とPHSは違うのであるが、この際ケータイで統一したい。と言うのも携帯電話もPHSも最早単なる「電話」ではなくなってしまったからだ。

周知のようにドコモのiモードは爆発的に普及、出会い系や親指族と言われる「便利で甘美な」文化を作り出し、Jフォンは写メール、auも動画配信や高速通信を、第三世代(3G)のFOMAに至っては従来では固定回線でしか考えられなかったブロードバンドまでをも視野に入れている。存在意義が揺らぎかけたPHSもその方向性をビジネスサイドに転換し、廉価高速通信回線として地味に展開しつつある。

すなわち最初は携帯「電話」だったのが、いつの間にか「携帯」電話になって、仕舞いには「ケータイ」になってしまった。電話というプリミティブなコミュニケーションツールから、大人も遊べる一種のオモチャに成り上がってしまったのだ。ここで大事なのは成り下がったのではなく、成り上がったのだということだ。

確かにケータイのもたらした文化は、出会い系であれ写メールであれ着メロであれ、基本的にはオモチャという言葉で代用できるようなサービスであり、また真剣な会議中でも目の前の人の話を打ち切って勝手に中座することを可能にし、やっとのことで座れた満員電車における至福の一眠りすら許さない大声をやたらめったら発することを許すとんでもないマシンであり、その点において、私のケータイに対する心は極めて侮蔑的で幼稚なものに対するそれであるのだが(こんなに人の品位というかレベルを下げたサービスも近年珍しいと本気で思う)、 だがしかし一方で、ケータイは私の人生を着実に変えた魔法のマシンでもある。

それはiモードによるメール配信サービスと、シンプルながらも使い勝手抜群のメモ帳、おそらくほとんどの人が使っていないだろうiアプリというアプリケーションサービスによるものである。時事ニュースフラッシュ、野村株価ボード、FreedomMail、テトリスなどのゲームアプリ…。今、私の享受しているサービスの一例だ。

朝目覚めると手だけ伸ばしてケータイを手に取り、布団の中で自宅PCに来ているメールの件名をチェック、気になる内容があればそのメールだけを通勤電車内でじっくり読む。出社前には株価情報を確認し、売買のタイミングを逃さない。メルマガの原稿は思いついた時にそのアイデアをメモ帳に打ち込んで、ある程度ネタが溜まったならば自宅のメールサーバに送っておく。iアプリのメールソフ トなら文字数など制限はないからガンガン打ち込める。また緊急速報は常にケータイに届くので、瞬時にymode.newsへ速報を書き込める。ホームに降り立った瞬間行ってしまった電車への待ち時間(腹いせ)にはテトリスやなつかしのUNOなんかをたしなむ。私にマージャンが出来ればマージャンアプリだってあるんだけど…(笑)。

つまりそれは時間をよりクリエイティブに使うための良きツールであり、必要な情報をより効率的にまかなうエージェントであり、楽しくて仕方のないオモチャである。大人でも「遊べる」ことを示した、立派なオモチャだったのだ。

さらに言えばこれは究極のサブノートであり、インターネットそのものであり、究極の相棒(サポーター)となる可能性だってあるんじゃないだろうか。ケータイ越しに話すのではなく、ケータイそのものに自分を話す時代が…。

おそらくケータイは21世紀を代表する「文化」となっていくだろう。そ れはユーザの頭次第でどんどん良きサポーターとなる可能性を秘めている。しかし、そこにはやはりユーザの「知恵」もまた求められているはずだ。今こそケータイを使おう。…間違っても、「使われる」のではなくてね。

2002.02.11.