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ソウゾウを超えた世紀。
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明日はどっちだ!

先日の連休中、今年卒業した大学の学園祭に行ってきた。サークルの後輩に誘われて調子に乗って番組までやってきたのだが(私はラジオサークルにいたのだ…笑)、とても楽しい一時だった。もう卒業して半年経つのだけれど、相変わらずラジオをやって、飲んで語って徹夜して。目の前にはあの時と変わらない仲間、そして後輩達がいた。そして同時に、あの頃と変わりたくない私もいた。

最近仕事に追われている自分を痛感している。別に仕事が忙し過ぎるという訳でもない。ただ何となく学生時代にはなかった充実感ゆえの焦燥感を感じている。やるべきをやれない、出来そうで出来ない、そんな焦り。

後輩達がサークルや学業、恋愛、バイト、就職活動など、与えられたモラトリアムの中で精一杯、自分の道を歩もうとしている姿を見ていくと、傍からこうやって頑張ってる姿を見ていると、どうにも羨ましい、私も学生時代にもっともっともっといろんな体験をしとくべきだった、と何とも諦めきれない気持ちが心をよぎる。

ただこうしてまだ未熟ながら社会人(もしかすると私はその中で例外的な立場なのかもしれないけれど)をやってると、意外にもこの時間が楽 しいのもまた事実だ。毎日のワクワクは確かに手ごたえとして実感している。

それこそ学生時代の一時期は、「何もしたくないならいっそ働くな(フ リーターならぬフリーマン、と理想像を語ってみたりもした…笑)」と言う暴言を周囲に吐いたこともあったが、仕事として今自分がやりたいことに近い立場で動いている人間として、仕事という「枷」の「ありがたみ」もまた分かる気がしている。…だからこそ、このふがいなさをどうにかしたい。

じゃあこのふがいなさとは何だろうと、通勤電車の中で考えてみる。私には何かを作りたい衝動、そしてその衝動を形に変えて楽しみたい、そんな気持ちがあるのだと思う。やりたいことと、やれないこと、趣味と仕事の微妙な関係、そんなようなものが一つあるように思った。

先月発売された音楽雑誌に私の敬愛する桑田さん(サザンオールスターズ)のインタビューが載っていた。彼もまた常に隠れてうじうじ悩んでる、実はそんな性格だったりするから、私も共感を抱いて読んでみる。「もうこれ以上新しいアルバムを作る意義があるのか?」そんな問いに今は思いかられているみたいだ。

仕事という枷への問題はきっと生涯向き合っていかなければならない、 そして向き合っていくべき問題だと思う。心の底から湧き出る我が侭な欲望に、どう対処するか。仕事と向き合う難しさを、私は頭ではなく体感として経験しているようだ。

仕事では意外と意味の無い時間も多い。意味のある時間の定義、は難しいけれど、どうにもやりたいことではないことに、妥協しなければならない時があるらしい。これでいいんだと半分本気で思いつつ、でもダメ だよなあと感じる不思議な一瞬である。頑張って頑張ってたまに力抜いてまた頑張って、そんな結果の上の、妥協論。

しかしそんな「結果妥協論」に降り下がるその瞬間の落差こそ、次を開く鍵なんではないかと思っている。ダメな自分を一歩引いて見て、ダメ なんだと考え、そしてそんな自分をやっぱりダメなんだと笑える自分こそ。卑屈な精神? いや、案外まともな精神だとも私は思っている。

2001.12.03.