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21世紀型政治とは

先日、国民(この国民と言う言葉には気をつけなければならない「まやかし」があることも事実だが)的な人気を背景に、小泉内閣が誕生した。 当初私自身は、総裁選から始まる一連のプロセスに昨年の加藤政局ほど熱い眼差しを向けることはなかったのだが、ここにきて今までにない期待感が膨らんできている。

小泉氏の言う構造改革というのは具現性にかけるという指摘もある一方で、首相自らの口から発せられるその言葉は、私にはそれなりの重みが感じられた。

熱き魂とも言うべきその重み、読売新聞の世論調査では87%という圧倒的な支持を得たところにはそうした背景があるのだろう。

この圧倒的支持はきっと夏に自民党への追い風として、またふがいなき野党には向かい風として吹き荒れるのだろう。

だがしかし最も重要なのは、既に50年以上続いたこの自民党(総裁)を主軸としたシステムそのものが末期的状況にあることで、初心に帰れば我々庶民は政党を選ぶのではなく、我々庶民ではなしえない社会の実現を図ってくれるだろう一人一人の議員に投票するという本来の姿だ。

つまり、願うべき政策が実現さえしてくれれば、それが自民党だろうと共産党だろうと公明党だろうと、どこの党であろうと投票する我々庶民 には本来関係ないはずだったのに、いつの間にやら政党や自民党内派閥そのものがその目的となってしまったところに根本的な悲劇が存在していた。

それが今回、今までと事態が違うのは即ち、自分の言葉で語ろうとした小泉氏という政党ではなく個人への期待という世のうねりに他ならない。派閥への根回しは目的ではなく手段でしかないと見せつけた、その行動にこそ彼の勝機があったと私は思う。

思えばこれは至極当たり前のことながら、現実的に難しい問題でもあろう。先述したのと同様、政治家は人気取りが手段であったとしても目的ではない。小泉氏を契機に、最後まで目的を履き違えないでいる政治家が現れたとするなら、私は21世紀の政治にも、政治が生まれた本来の意義が見出せるのではないかと密かに期待する。

2001.04.30.