Novel

肉塊〜Dead In Emotion

1998/03/19 @295(15:06)

 

それは幼き日にふわふわと空中に漂っていたシャボン玉になったかのようだった。
いやそれとも柔らかな水で身体全体を包み込まれた赤子に戻ったようだと言った方が良いのかもしれない。
次第に速く流れ行く外の景色とは対照的に、自分の周りの時は驚くほど緩やかで心を落ちつかせた。
落下による恐怖などまるで感じず、現実にはあり得ない浮揚感すら存在していた。
その心地よさが産み出したのだろうか。短かった「私の歴史」が心の中に再現されはじめた。

そこには自分が二人いた。
一人は昔の、今は思いどおりには動かすことのできない自分。
そしてもう一人はそれを眺めている今の自分。
まるで物語を読むかのような感覚で私は自分を冷静に、残酷に見つめていた。

生まれたての自分はとても神々しく輝いて見えた。
その光は両親のこの上ない愛情によってますます増大されていき、自分自身も成長していった。
懐かしい記憶。
失いたくない思い出。
嫌だ嫌だと泣き叫んでいた現実の悪夢も、端から見直している今の自分にとってすれば、大事でいとおしい記憶と感じるようになっていた。
自分は少しずつ、だが確実に成長していった。
他人を気づかわず自分を素直に出していく自分を見て恥ずかしく思い、また誇らしくも思った。
この期に及んで今まで費えていた自信というものがふつふつと沸いてきた。
そんな今の自分を嘲笑する。
そしてそれが悲しくなって黙りこくった。

時はゆっくりと、しかし素早く流れ行く。
純粋に人を愛したのもこの頃だっただろうか。
まだ何も分からず。
その純粋さに苦悩する自分は今、健気に思えた。
何も言えない自分に必死にエールを送る。
後悔はしたくないだろ。
今しかないから。
今しか。
そう願いながらもそれは届かない。また黙った。

いつもの見慣れた教室。
見渡せば半分以上の人が各々の席で眠りについている。
教師は教壇に一人で淡々と己の仕事をこなしていく。
ノートをとる人はまばら。
皆の疲れた表情。
淀み濁った空気。
「疲れた。」
「授業なんかやめちまえ。」
「つまんねぇーよ。」
そんな中を自分は一つため息をつくと、どうすることもできずに気だるい眠りについた。
何もせずとも目にも止まらぬ速さで進んでいく世界。
皆はそれを承知していた。させられていた。
個性も糞も何もない世界。
昔は良かったなぁ。
何もかも揃いすぎた世界。
「俺って何でいるんだろう?」
「全ては揃っているんだから要らないじゃん。」
それを否定できない心。
さっきの自信もこの問いかけに応じるにはしぼみすぎていた。
僕は黙った。

深く深く心に根を埋め尽くしている悩み。
一人で掘り返すには余りにも深い。
かといって周りを振り向く暇もなく、一人で必死に掘り返す。
その近くにいながらもその場には存在しない自分は、掘り返す自分を余所に周りを見回した。
ほら、あっちにもこっちにも君のような人はたくさんいるのに。
皆、黙々とそれぞれの大木を小さなスコップで掘り返していた。
それは異様な光景だった。
僕は声が出せなかった。

「どうして俺はここにいる?」
「どうして悩んでいる?」
「何で独りぼっちなの?」

「…疲れ切った。」
自分で哀れんでいる自分を見て、喋れない僕は哀れな目でいつまでも彼を見つめていた。

眩しい光。
徐々に白んでくる都会の建物に、力みなぎる朝日が差し込む。
まだ誰もいない寒々とした早朝。
連なる高層ビルディング。
今、その内の一つの屋上から一つの物体が落下していった。
朝日に照らされながらその物体は加速度的に落下し、あっという間に目標地へとたどり着いた。

グチャ。

醜悪な肉塊のみがそこに残った。

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