1999年 4月 |
先日駅の階段で、駅員さんが脚立に乗ってポスターを貼り替えていた。
向こうからはおじいさんが歩いてきた。
おじいさんは脚立の横を通りすぎると、少し戻ってその場でかがみこんだ。
「…これ」
と差し出したのは、誰にも気付かないように落ちていた画鋲。
「あ…、わざわざすみません」
脚立を少し降りて、駅員さんは言った。
ふっ、と心が軽くなる瞬間。
ずっ、と心が重くなる瞬間。
そういう体験を、我々は日々しているのだろう。
ただ、気付かないだけなのかもしれない。
珍しく洋楽のCDを買う。
ふと聴いた音が忘れられなかった。
今、この音が聴きたかった。
1999.4.26.
選挙権を得て初めて、投票をした。
それ自体はなんてことのない行動。
特に感慨も何もなく、過ぎていった。
例えば20歳になった時のように。
大人になるということが、良く意味が分からないように。
どうしたら大人になれるのだろうか?
酒を飲む。飲みながら語る。
誰もが今、恥をさらして美学を追い求めてる。
さっきまで遠くから眺めていた奴もまた、魅力的だ。
何にもなかったような時間が、重ねるだけ無意味のようで。
投票することで、世間に物を言うことが許された。
ただその責任を負うには、非力だ。
何も、知らなすぎる。
何故、おとなになりたいのだろうか?
追うたびに、苦しいはずなのに。
1999.4.11.
この美しさがあと少しで見られなくなる。
ここ数日は天気も芳しくなく、何か物足りない気分である。
「今年の桜は色あせてない?」と友人に言うと、「やっぱりそう思う?」と返ってきた。
天候の影響があるのかもしれない、と続ける。
「見る人によるんじゃない?」ともう一人に言われる。
確かにそうかもしれない。
帰りの電車から、家の前の公園を見る。
咲き誇る桜。
いつの間にか空はすっかり晴れて、午後5時だというのに昼のような明るさ。
もう見納めかもしれないが、綺麗だとその時思った。
1999.4.7.
負けたからこそ、次の勝ちを目指し戦う。
そして勝ちの余韻は、負けの気品を誘う。
憂いはない。悔恨もない。
余裕はそこら中に転がってる。
風は吹く。
背を見せた若者は、風に押されながら、歩く。
風に乗ろうとして、よろめいて、踏みとどまって、歩く。
1999.4.3.
99年4月、また今年も春が始まる。
さくらは咲き始め、盛んに美しさを競っている。
今日はSASのライブに行った。
新生SASを謳うライブで、確かにいつもと違うSASがいた。
しかし予想以上に変わっては、いなかった。
絶叫する自分。ライブ後に受け取った力。いつもと同じ。
負けていられない鼓動。
過去を封印するということは、過去を捨てるという意味じゃないことを。
この季節の変わり目で、私は大きな決断をした。
それは後になって後悔する事なのかもしれない。
だけどこの今、後悔しない選択だと思っているから。
その分と同じだけの、夢に胸が鳴る。
21年目のバンドが過去を振り捨てて新たな道を模索している。
しかしそこには今までへのリスペクトがあった。
21年目の人生にも、きっとそれは出来るはず。
あの時の涙は、確かにあった。
さくらは今年も咲いている。
あの時の美しさは、変わらない。
1999.4.2.