1998年 11月

 ビートニクラジオ→July

 勝手な話の中にも、物事の真を突いてるような「感覚」。
 馬鹿な生き様なんだけど、それがこんなにも重く面白く響かせる。
 むしろここまで馬鹿になりきれるから、それを恥も無く語れるから凄い。
 淀川さんの貴重な話まで聴けるから凄い。
 やっぱり「感覚」が凄い。
 毎回録音して永久に取っておきたい感覚。
 でもそれをしたくない感覚も何処かである変な自分。
 続く5分しかないドラマも壊れ方が良い。
 妙なザッピングをラジオでやってのけるのが良い。
 何としても伝えたいという野心を「真似」したいと、ラジオ制作の真似事をしている身が、正直に思う。
 こんなにも楽しみな夜はない。
 このエネルギーは、凄まじい。

 1998.11.29.

 見えぬ世界、見る世界

 長い間、何かを探し求めていた。
 はっきり見えないものだから、それは良く分からなかった。
 だから時を待つことに慣れてしまった。
 ただいろいろな人を見ているうちに、気付いたことが1つ。
 「変える」ではなく「変わる」だということ。
 そう信じて疑わないことが、どれだけ重要かを。
 流行る風邪も「ひかない」と信じれば、「ひけない」ように。
 「病は気から」、何処かにある甘えが身体を蝕んで。

 1998.11.25.

 弱き群れ

 4日間の三田祭(学園祭)が終わり、ひとまず区切りを付ける。
 サークルの代表として、至らない点も多かった。
 ただ去年断念したことをやり遂げられたのは充実だった。
 くだらないことに夢中になれたのは意味のあることだった。
 打ち上げの酒も美味かった。
 いろんな人と話せたのが貴重だった。
 いろんな世界を知った。
 弱小サークルだけど、時には辞めようとも思ったけれど、続けて良かったのかなと、思う。
 祭りの後にもやらねばならないことがある。
 未読メールもたまっている。
 ただそれを読める喜びが、今はある。

 1998.11.24.

 今更の、重み

 「映画」一筋だった淀川長治さんが、亡くなった。
 私なんかは映画を見始めたのがつい最近であるから、淀川さんの解説はそんなに知らない。
 しかし今、何かかけがえのないものを失った気がする。
 今更であるが、評伝でその人を知る。
 文字通り、映画に人生を懸けた人だった。
 そのことだけにも凄みがあるのに、さらに驚かされる。
 優れた評論家であった。でも何より映画の「伝道師」だった。
 「映画を見て、どこが悪いというだけの見方はいやなの」と言った。
 「これはいいですよ。ここをよく見てくださいね、と紹介したい」と言ってきた。
 好きになれない映画には「映画の魂が感じられなかった私の不幸をお許し下さい」と祈った。
 こんな人を知らず過ぎてしまったことが、何より残念だ。
 「自然と」言われてきただろうその言葉に、重みを感じる。
 あの優しさは、ここにあると思う。
 一度でいいから会ってみたかった。
 89歳。ご冥福をお祈りします。

 1998.11.12.

 アナログ

 連綿とした時。
 途切れを作りたくて、作れずに今へ至る。
 「今」は止めることなく「過去」へ流れ過ぎる。
 5年という歳月も、20年という歳月も、きっと垣根など存在しないのだろうけど。
 区切りを付け、勇気を持つことに怯えがある。
 欺瞞で拒むことを止められない。
 それでも成長はしているつもりだが。
 区切りの無いだけ、何も変わらない気がする。
 いったい何をやっているのか分からなくなる。
 様々に片鱗を見せようとしている。
 同時に埋もれることを嫌っている。
 止めたいけど、止められない。
 CDのように頭出しは、出来ない。

 1998.11.9.

 北越谷

 我が家に神奈川の友達が遊びに来た。
 遠路はるばるやって来た。
 私としてはいつもの通学路でしかないこの道も、相当の長旅。
 大したもてなしも出来なかったが、こういうのもまた良しとして。

 バイト帰りの車中で。
 何気なくAMから流れてきたある新譜。
 もう一つ聴きたい音楽番組を思い出し、FMに変えたら。
 聴いたことのある曲。それは今しがたの歌。
 すかさずAM。そしてFM。ワンテンポ遅い、FM。
 じれったく信号まで車を進め、赤で止まるとAM、FM、AM、FM。
 歌が重なって、音質を違えて。ボタンを押すたびに、時間が戻り進んで。
 相変わらずテンポ遅い、FM。
 踏切で。AM、FM。奇遇にもフルコーラス、どちらも。
 歌の終わりと共に、別々に番組は進んでいく。
 こういうのもまた、良しとして。

 1998.11.5.

 

 

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