SSA-001 "KAMAKURA"

「人間くさいアルバム」

2000/12/08 @557(21:22)

 

<Album Data>

1985/09/04 on Sale
CDA2枚組(オリジナルはLP2枚組)

<Reviews>

当時まだ広くは認知されていなかったコンピュータサウンドを意欲的に取り込んで、それまで自身が築き上げてきた「歌謡ロック」に新たな風穴を開けた、オリジナルアルバムとしてはSAS史上唯一の2枚組、全20曲。

もしSASのNo1アルバムを選べと言われたら、私は迷わずこの『KAMAKURA』を挙げる。コンピュータという無機質かつ斬新なイメージとは裏腹に、情緒的かつ古めかしき日本の和を基調としている様が何ともシニカルで、SAS自体が包容するパラドックスにも通じる今作は、自信を持って「一家に一枚」と言える完成度であり、まさに20世紀最大の傑作アルバムである。発表されたのは1985年。しかしながら2000年の今ですら新鮮かつ刺激的なサウンドは、デビュー以来休むことなく培われてきた土着的本能的サザンスピリットと、以後音楽業界を席巻することになるコンピュータサウンドの見事なまでの融合に他ならない。かの小室哲哉氏も今作に衝撃を受けたと言っている。

いきなり1曲目の『Computer Children』では、現代「電脳ワールド」の影の部分、特に「外で遊べない」少年たちによる犯罪が頻発する昨今への警鐘のような、そして後の『01MESSENGER』に通じる一貫したメッセージを叩きつける。2000年の今だからこそ聴いてようやく理解されそうな詞に深く根ざすメッセージ性と、スクラッチや変拍子を始めとした漠然とした不安感、曲後半から迫りくる計り知れぬパワーは、今作が潜在的に持つあるテーマに通じる(なお歌詞カードには『Computer Children』において「スクラッチ、不規則なリズムなど各種のEffect処理が行われております。未体験のサザン・サウンドをお楽しみください」とわざわざ明記されるくらい、当時は衝撃的なアレンジだった)。

続く『愛する女性(ひと)とのすれ違い』では美しすぎるメロディと切なさを微妙に調和させ、『Happy Birthday』ではパンを活かしたきらびやかな印象を、桑田自身が後に失敗と言ってはばからない『Melody(メロディ)』こそ、その若さの純粋さ故に色めき立ち(その証拠に茅ヶ崎ライブではこの失敗作を見事に歌って見せた)、『吉田拓郎の唄』では桑田が唯一認めた「拓郎によるフォークソング」の正直な肯定と愛情を、そして『鎌倉物語』では身篭った原が「どうしてここまで女性的な歌詞がかけるのか」と感服した夫の歌詞を、ベッドの上からのびのびとそして、生き生きと伝える。

2枚目に入れば、メロディとリズム、そして歌詞で「3重の衝撃」を受けた『顔』、そしてすべてにおいて「これぞSAS真骨頂」と信じて疑わない『Bye Bye My Love(U are the one)』、『Brown Cherry』では、英語を日本語に無理やり押し込め、過激用語だけは英語で誤魔化すという「日本語英語歌」をSAS流にでっちあげ、「青春」という言葉に真正面から向き合う『夕陽に別れを告げて』とその「最後」を匂わす『〜メリーゴーランド』、最後の最後に「生きてくことを望むなら冷たい風が吹いてる」と、僅か2分半の中で訴えるSAS初のフォークソング『悲しみはメリーゴーランド』では、悲しむように、だがしっかりと現実を見据える諦観の情に心打たれるばかりだ。

アルバムのために収められた20の歌ではなく、20の歌の各々自体が、このアルバムに属すことさえも己の理由付けにしてしまうかのような、圧倒的な存在感と相互作用。これらの歌の底辺に流れるのは、まさしくアルバムタイトルの「鎌倉」であり、それは『古戦場で濡れん坊は昭和のHero』に歌われる古き時代の象徴(鎌倉幕府から連綿と生き続ける地、であり血)としての鎌倉であり、桑田佳祐の故郷としての鎌倉であり、『夕陽に別れを告げて』に感じる「ひと」の心の拠り所たる青春としての鎌倉である。

このような『KAMAKURA』が至るところで顔を見せ、普遍的テーマに昇華しているところにこのアルバムの偉大さと飽くなき挑戦があったように思う。確かにその片鱗は前作『人気者で行こう』までにも見せてはいたものの、SASはこの『KAMAKURA』による一貫したテーマにおいて一気に開花させた。

そしてそれは一言で言えば「人間くささ」であって、すなわちそれは誰しにも最も分かりやすい「かなしさ」や「わびしさ」であり、「失恋」であり「差別」であり「別離」であってだからこそ、それらがコンピュータサウンドの無機質で異常なまでの細やかさと調和しながら、不器用な生身のSASというバンドから躍動し、我々の「人間くささ」に回帰するのだろう。

明らかにSASはこの『KAMAKURA』で完成したのだ。私はこの『KAMAKURA』でSASの素晴らしさに初めて触れた。きっともうSASがいなくても、この頃のSASの歌を今聴くだけでも私は、十分満足できる。

しかし、今でもSASはこのアルバムに匹敵する歌を、世に送り続ける。このアルバムにはない手法で「人間くささ」を届けようとする。私はその意味で、SASというバンドに二重の尊敬と憧れを抱いているのだ。

<終わり(敬称略)>

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