1983年、任天堂から世の中に送り出された「ファミリーコンピュータ」。私が初めてそれを手に入れたのは小学校2年(1986年)のクリスマスだった。欲しくて欲しくて仕方なくて、サンタさんにお願いしたものだ。初めてのソフトは『スターフォース(ハドソン)』。シューティングゲームの元祖とも言えるこのゲームは、ロムカセットの鮮やかな青色が印象的だった。真新しいファミコンにカセットを差し込む。固めのスイッチをカチッとスライドさせる。タイトルが表示され、決戦の直前。スタートボタンを押すと画面から響く、今では懐かしい、軽快な電子音で奏でられるテーマソング。途中どうしても倒せない敵がいる。そいつにぶつからずやり過ごそうと、コントローラを持つ手に汗が滲む。指を動かしたいのに、手全体が動く。ぎこちない操作感。敵とぶつかって、ぶつかって、ゲームオーバー、もう一度初めからやり直し。それでもめげずにやり進めると、1面のボスが登場。一気に音楽は重厚なものに変わる。ドキドキと胸が高鳴る一瞬。息を呑み、弾を避けながら、撃ち込む、撃ち込む。「バンッ!!」、撃破。ほっと安堵、そしてクリアの音楽。嬉しい。スコア計算の後、2面へ進もうとするときに、母の声。タイムアップ。「目が悪くなる」からとファミコンには時間制限付きだ。「もっとやりたい」気持ちを抑えて、カセットを取り出すイジェクトボタンをしぶしぶ「ギィー」と押す、あの瞬間。 プレイステーション、ゲームボーイカラー、ドリームキャスト、ワンダースワン、ニンテンドウ64…。今、TVゲームは私達の周りに溢れている。いや、最早「TV」ゲームではない。TVがなくても電車の中でさえゲームが遊べる時代だ。技術だって進歩した。格段にレベルの上がった映像と音楽、そして凝ったゲームシステム。でも今の私はゲームをあまり欲していない。確かにどうしてもゲームで遊びたかったあの頃の衝動は今でも覚えている。しかし、いつまでも一緒にいたい好きな人と別れるような「イジェクトボタンを押す」、あの感覚が、今の私にはない。 それは私が単純に食傷気味なだけかもしれない。ゲームソフトが増えすぎた。昨今はソフトもハードも多すぎだ。私が小2の頃は何しろゲーム自体が珍しかった。コントローラを触ることがまず楽しかった。今の小2には、そんな感覚なんてないだろう。 今年、世間が待ちに待った『ドラゴンクエストVII(エニックス)』が発売になった。私が生涯で一番遊んだゲームソフトはこのドラクエシリーズだ。このシリーズはリアルタイムで全て遊んできた。ゲームだけに留まらず、ドラクエの音楽や小説、CDドラマやグッズなど、ありとあらゆるドラクエ「商法」に手を染めた。寝ても覚めてもドラクエ三昧な小中学校生活。ただその熱気も高校をすぎると自然と冷めてきていた。そして大学生となって、普段ほとんどゲームをやらなくなってしまった私が、あの時の興奮を思い起こそうと今夏はドラクエVIIをやってみた。 もともとドラクエは任天堂用のハードで動くゲームだった。というより、ドラクエに限らずTVゲームの歴史は任天堂から始まったといっても過言ではない。スーパーファミコンの後継ぎを狙って「セガサターン」「プレイステーション(PS)」「ニンテンドウ64(N64)」の次世代機戦争が勃発したとき、私はプレイステーションの市場での勝利を確信した(発売してすぐにPSを購入したのもその確信があったからだ)と同時に、ゲームに対する価値観においては任天堂寄りのスタンスを堅持してきた。だから、大好きなドラクエがPSに移行すると聞いた時はがっかりした。 私が何故任天堂の価値観に共鳴するかといえば、TVゲームというもの(発明品)はこの会社のものでしかありえないからだ。任天堂は昔から花札やトランプで有名だった会社だ。その会社がファミコンを創ったのは、決して花札やトランプから脱皮するためではなかった。むしろ花札の延長線に、ファミコンという遊戯を創ったのだ。人が楽しめる「もの(=おもちゃ)」を創るという、その心意気は非常に分かりやすく、共感できるものだ。 ゲーム機はソニーのPS2に代表されるよう、ゲームの他にもDVDが見られたり、ハードディスクドライブがついたりインターネットが出来たりと、総合「エンタテインメント」マシンとしての存在にシフトしつつある。つまり今までの「ゲーム専用」マシンから脱皮しようと苦心している。PSのコンセプトでもある「全てがここに集まる」というセットトップボックス(STB)としてのマシンにターゲットが置かれている。それはそれで悪くない。むしろ私はそのような最新技術に非常に興味がある。何しろ私はPSやPS2を発売直後に購入してしまうくらいである。がしかし、小2の頃から「TVゲーム」を愛して止まない私には、それらを素直に共感できない。 誰もが見捨てるような花札を今でも創り続ける任天堂は、その意味で他社と一線を画している。N64で貫いたのは「少数精鋭」だった。質より規模の優位性を重んじ、それまでの任天堂のかかえていたソフト会社をかっさらって市場で勝利したソニーとは対照的に、皆が離れよう離れようとする今までの「TVゲーム」に飽くまでこだわった。TVゲームとは何だったのだろうという疑問をおそらく誰よりも真剣に考えた。そしてそれは花札が何故時代を超えて面白いんだろうという大事な疑問に限りなく近かった。 この市場原理とはかけ離れたこの理想主義は、ビジネスとして大失敗を被った。理想の高すぎた64DD構想も一年で頓挫した。しかしだからといって、ソニーに奪われた規模の優位性が、後生大事にすべき財産だったわけではない。数少ない花札級の面白さを追及する任天堂からすれば、その莫大な規模は負の遺産でもあったのだ。 ともかく、任天堂のゲームは数こそ少なけれど「楽しい面白い」という神話が今でも崩れないのは、そんな価値観がこの会社にあるからだと思う。そしてそれは「TVゲームというおもちゃ」を創り出した自負と責任感によるものに他ならない。『ゼルダの伝説 時のオカリナ(任天堂)』に触れた時、ゲーム食傷気味な私に、あのイジェクトボタンの感覚がふと甦った気がした。 また私が任天堂に共感を抱くもう一つの理由は、現状に甘んじず新しい領域へチャレンジする精神だ。先述したようにゲームは最早「TV」ゲームだけではない。ファミコンで絶好調な時代に、ゲームボーイによっていわゆる「モバイル」ゲームの分野を開拓したのも任天堂の大きな功績だ。 さて、そんなおもちゃ屋任天堂をあっさりとふって、PSで登場となったドラクエVIIだが、やはり面白かった。やっぱりドラクエはドラクエだった。現実の自分とは違った「人生体験(=RPG)」を再現するという堀井氏のコンセプトは健在だった。シナリオ、音楽、ゲームシステム、肝心なところはどこをとっても「一流」だ。 詳しい感想はどうでもいい。大事なのは、ドラクエはどこをとっても一流だということである。堀井氏やすぎやま氏などの一流による一流の「表現手法」、それが「ドラクエ」なのだ。 そう考えるとドラクエはもう、ゲームじゃないってことになる。少なくとも私の中では、ドラクエはゲームじゃない。ドラクエはドラクエだ。だからドラクエによってあのイジェクトボタンの感覚が戻ってきても、それは二流三流の食傷ゲームの話題とは異なる。ドラクエが売れることと、今後のゲーム市場が明るいこととは全く結びつかない。 最近私はゲーム雑誌を買ったり見たりするのを止めた。今後のゲーム業界が面白いとは思えなくなってしまったからだ。ゲームを「追い求める」ことは、それは例えば任天堂のような姿勢ではあるけれど、独り家から離れずにゲームの世界に埋没する人生のことではない。どうにも我々Game Agesはおかしな方向へ走ってしまいそうになっている。 私のゲーム時代は、あのイジェクトボタンの感覚であり、そしてドラクエだった。ドラクエはまたいつか出るだろう。それはそれでいい。それよりも私は「新しいイジェクトボタンの感覚」を見つけたいと思う。 <Links> |
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